2017.4.19ー魂の記憶

パニックになると、人は冷静な判断ができなくなります
そうすると、助けを呼ぶことも分からなくなります
私たちは相対的に、社会と繋がっていて、その繋がりを切り離す事はできません
例えば政府が間違った事をしていて、それを正すのは司法の役割です
ですが司法は、往々にして、過つ事がほとんどです
司法というものは、対外的に、非常に権力に左右されやすいものです
実際、国民の大きなうねりや、権力者による圧力、そして、メディアによる攻戦に、いつも司法は抗えないでいます
その性質を分かった上で、私たちは正しさについて考えねばなりません
私たち国民は、国の奴隷ではありません
権力者や施政者は、度々、市民と呼ぶべき人々を、奴隷として扱う者が絶えません
それは、権力者としての抑制を忘れてしまう為です
民主主義での施政者という者には、枷が嵌められています
それは、何者も犯す事のできない平等性を、等しく施政者も受けるべきという、国民感情に起因するものです
つまり、法というものは、国民の支持を受けたものであるべきで、なおかつ、その施政には、常に国民の意識が共にあるという事なのです
ですが権力者は、いつもこの国民の目を、都合良く忘れたり、失くしたりしてしまいます
何故なら、何かを達成しようという、欲や執着による行為の動機を持つ者は、賢明な声、あるいは批判というものは、邪魔な存在に成り下がってしまうからです
そしてここで、施政者は独裁者としての名を、ほしいままにします
つまり、皆さんが国の代表を選ぶ時に注意すべき事は単純です
その候補者が訴える行為に、欲や執着がどれだけ混じっているのかを見極める事です
欲望や執着を行動の動機にする者は、必ず間違え、そしてその結果、独裁者の道を歩みがちです
間違いを認められない者は、自らを正せません
そうした時に、あなたが選ぶべくして選んだその者の行為の責任は、あなた自身も負わなければならないのです
国民には権利があり、同時にそれは、責任が生じるという事です
あなたの選んだ候補者が間違いを起こせば、それは選んだあなた自身の責任なのです
私たちは、国を歩こうと言う時、その責任について忘れるべきではありません
欲望は、万病の種です
執着は、癌の元です
私たちは、平安、平穏を望むというなら、あなた自身がまず、平安、平穏である家庭を築き、誰一人犠牲にしない幸福を、家族に与える事を目指すべきなのです
2017.4.19