神との対話は、自身の心を開く事から始まります
神は、あなたが本当に必要とする時はいつでも、あなたに語りかけます
虚無に打ちのめされた心も、自身ではどうする事もできない傷も、神を通して自身を見つめる事で、止められた時計を動かす事ができるのです
神の前では、安堵と安らぎが広がり、静かに自身を見つめる事ができるのです
自分を救うのは自分自身です
それは、暗い厳しい孤独に感じるかもしれません
けれど、自分以外は、本当に誰も救う事ができない事は、現実なのです
これは、悲観するものでも、苦しむ事でもありません
神は、私たちが心から救いを求め、答えを求める時は、必ず共に在ります
神が提示するものは、慰めや、私たち自身にとっての本当の癒しや、問題を明確にするものです
私たち人は、いつも神に助けを求め、困難を払いのけて、すでに用意され、整備された環境を求めて、今この瞬間に与えられる事を望みます
それは、苦しみと痛みを避けようとする人の性なのかもしれません
しかし、一番大切な事は、傷の自分から求める方法で望むものを手に入れたとしても、傷は癒される事がない事を、自分が知る事にあるのです
苦しみに限られ、切り取られるほどに、私たちは痛みから何もかもが見えなくなり、どうして良いのか分からずに、形振りさえ構わなくなっていきます
苦しみに直面する時、現実を知る事は、辛い事であるかも知れません
しかし、心から人生を変える事を望むなら、現実を直視し、痛みと向き合う事が、自身を変える方法なのです
私の人生は間々なりません
人としての人生とは、そうした苦難の連続です
そしてこの痛みこそが、あなた自身であるのです
人は痛みに苦しめば、楽を求めて逃げ惑います
楽な事は、まるで甘い薬物のようなものです
自身の体を傷つけ、心を破壊しているのを気付きながら、痛みを見ずに済むためだけに、人は楽な方へと流れたがります
何一つ、自身の問題は解決しない事を見たくないために、苦しみを逃れるために、楽である事を選ぶのです
薬物が、人を壊す事しかしないように、楽である事も、同じように苦しみを自身が感じずに済むようにするだけです
私たちは、この幻想の世界を捨て、本当の喜びや幸せは、自身の傷の向こうにある事を、知る必要があるのです
2013.12.28