2014.4.30ー魂の記憶

 物質にあるものは全て、私という体現を成すものです
 私たちが体験し、存在する全てが、今、私を表す存在です
 最も分かり安く、綿密に創造されているのは、私たちの生という役割を与える、身体という道具です
 身体は、私そのものの本質という存在ではありませんが、私そのものの本質を物質に表し、生を与えるものです
 身体は執着して使うべきものではありませんが、私の反映、反響を体現し、人生を作り出すものですから、何よりも大切にするべきです
 そういった意味で、身体への愛情をかければ、身体は単純にその形を表してくれます
 私たちがこの身体から理解できる事は、身体に抱える問題こそが、私たちが本質によって発する根本と、同一であるということです
 存在とは、痛みです
 存在するなら、誰もが痛みを抱えます
 この痛みが、性質と属性を創り出し、物質さえ作る根源となります
 つまり、私たちが有するこの痛みこそが、私たちが生きる事を選択した根本を表すのです
 痛みの生の体現は、同時に、私の存在の体現です
 どんな生も、それそのものを形作る生が、私という存在です
 個はいつも、この人生に体現されて、身体として存在します
 それを認識するだけで、身体は驚くほど大きな変化を表し、そこに神の完全を表します
 私たちがこの生を生きるのに必要な認識は、いつも全てを生み、創造する根源は、意識である事を理解し、適切な対処を行なえるように、精進する事にあります
 意識は根本ですが、これは自身の神そのものを体現した姿でもあるため、人の私には、制御も変更もかないません
 ここでどの様な痛みを抱えようとも、人である私の選択は、受け入れて痛みを終わらせる事しかありません
 一見の理不尽は人の視点であり、全体を眺めて見れば、それは自身の全ての幸福である事を、知る事となるでしょう
 同時に意識を知れば、自身の人生の展望も、容易に悟る事となります
 今までの行動したどのような物質による欲や執着の行動も、意識を知れば、それらは全て、不要の過去となるのです
 つまり、この意識を認識して生きる事を選択するなら、あなたの生はもはや、物質の性質から解放され、神のみとなるのです
                              2014.4.30