2014.4.29ー魂の記憶

 愛は生命の根幹であります
 生命は、それそのものの愛によって糧を得、身体を維持する力を与えられているのです
 自然科学の本で私たちの身体に流動する全ての科学は、愛の力によって創られ、維持されるものです
 人は生き死に、には目を向けますが、それは生の本質を目にする行為ではなく、同時に死に向き合うものでもないのです
 神は常に、唯一の存在ですが、それを自身から切り離された存在である認識は、狭まった物質主義の視点であるのです
 唯一の神は、同時に私である事を表す神であります
 この本質の理解なしに、生命は、生命そのものの本質を悟る事は叶いません
 神は燦然と輝き、私たちは、個体を得て、この体で唯一の人生を歩みます
 しかし、それを大きな視点で見つめれば、全ては切り離せぬ集合意識と同一であるのです
 神は、神であった時の私たちと、今、アートマである私たちを、別々の存在とは見なさず、全く同じ存在として見つめ、扱います
 変化したのは、私たちではないという、理解が必要なのです
 変化したのは、環境であり、私たちの意識ではないのです
 変化したのは、関係性であり、私たちの本質ではないのです
 変化したのは、取り巻く物質であり、私たちの根幹を構成するものではないのです
 物理は如何様にも変化します
 しかしながら、私たちの本質は変わらぬ神であります
 私たちの関係性も、持つ物質も、時の流れの中に身を沈め、やがて忘却と変化を促されるものですが、私たちの意識は、常に不変の光として輝き続けます
 いかに私たちが、環境の変化に戸惑い、この認識する力の乏しさによって、人生という道をつまずいているのかが分かります
 つまずくとは、物理の意味ではなく、人生の意味を全うする為の行為を指します
 財産や地位を得ても、その人が神を第一に選択しないなら、その人は、本来の目的から逸脱し、人生につまずいています
 同時に、何ひとつ持たずとも、その人が常に神を愛し、体現し続けるなら、その人は、生まれてきた人生を理解して、生きる人生の成功者であるのです
                              2014.4.29