2016.7.4ー魂の記憶

 私は世界に寛容を与えてきました
 人類はこれまで、かつて無いほどの増加を遂げ、それらは摂理を破壊してしまうものです
 人生の多くを収得に費やすと、この世の時間は限られ、利己主義に走り、人は生まれてきた意味の素晴らしさも、この人生の、価値ある体験による機会も、逃す事になります
 人生を有意義に過ごす事無く、時を刻み、浪費し続ける人の事は、ジルダナ(時を食べるもの)と呼ばれます
 皆さんはこの宇宙にやってきて、まず私と交わした約束を、何時間、思い起こしているのでしょう
 残念な事に、一時間にも満たない間、ほとんどの人は、この約束を、生涯の時間の中で掛ける事はありません
 また、残念ながら、生まれてきた回数を掛けるとしても、同じ事なのです
 悟りを開く事は、限られた人間の特権なのでしょうか
 神を持つ事は、人類の選別された人の中にしかないのでしょか
 若者たちは今、そう言った間違った情報に踊らされているのです
 家庭の扉を他人に許すのは、その人が招くに値する人物である時だけです
 これと同じように、神の扉を許す人は、神に、それ相応の対価を払ったものだけなのです
 皆さんは私に、何の利己も努力も無く、与える事を望みます
 私は喜んでそうしましょう
 けれど、そうした無私の奉仕を受け取るには、特別な資格が必要となります
 私は皆さんに、神を求めてこの世を用意したのです
 完璧で完全な世界は、自身の努力だけで乗り切れる、孤立した世界などではありません
 今、若者は、連携や温かな手を取り合う事を求めて、未来を夢見ています
 しかし、若者が夢見る理想は、若者が参加し、担う社会の中には、全くありません
 それが、多くの若者を失望させ、自暴自棄に追いやり、未来を夢見て、過ちの思想に傾く原因です
 企業では、隣人の手を取り、目を見つめて話し、幸福を実現しようとする、自己犠牲の精神は見当たりません
 宗教では、また親が家庭では、それこそが我々の義務であると、教えてきたのにも関わらずです
 経済となると、人はたちまちの内に心を凍らせて、切り離してしまいます
 隣人が厄介者に、ライバルが抹殺する相手に、兄弟が足枷に、両親が重たい錘にという具合にです
 私たちは今日の社会においても、道徳や倫理の良さを求めて、教育に取り入れようとしてきました
 しかし、肝心の社会という企業達は、相変わらず他者を追い落とし、自己の利益だけを追い求めて、他のものを切り捨てたがります
 例えば皆さんが、道で出会った乞食を見つめるような目をした人々が、会社では上司になり、社長になり、そして雇用主になっているのです
 若物の理想は、その瞬間に打ち砕かれ、我々はそれを、現実によくある出来事だと、塵取りと箒で、ごみを掃い清めるように、使います
 果して、砕かれた若者の夢達は、そのような、ごみのように存在する、価値無いものであったでしょうか
 我々は、この社会を築くにあたって、失ってはならないものが多くあります
 経済は、それを失わせて、人と人の繋がりを切り離して、国家を分断してしまっています
 夢破れた者たちは、あき飽きとして、人生を鬱屈にして抱え、未来を見失っています
 ですから、自らの力、自らの重要性を、社会や人々に誇示し、見せびらかしたいと言う、魔物のような衝動に駆られて、愚かにも、死が神の言葉だと信じたがるのです
 皆さんに、私から一つの教訓を是非、与えたいと思います
 私が神だと言い始めた事は、14の歳の頃からでした
 その当時、この小さな村の、貧しい民家の集落の人々は、誰も私の話を、まともに取り合おうとはしませんでした
 ですから私は、それを示す為の旅に、出る事にしました
 多くのグルを訪ねて歩き、時間の限り、体力の許す限り、私は私の、目と、口と、声と、微笑で、信者達に語りかけ、神を示し、歩んでこられました
 私の達成した偉業は、何かをこれ見よがしに作った、あるいは、どれだけの数の人々を、救いに導いたと言う、単純でおせっかいなものではありません
 私の偉業は、皆の心を一つに束ねて、まとめ上げ、友愛の未来と可能性を指し示している事です
 信者達の多くが、今なお私の言葉を信じ、行動をし、この神と共にあります
 若者の皆さんが知って欲しいのは、こうした友愛や神が、打ち砕かれ、途絶え、消える事は、あってはならないと言う事です
 絶望に打ちひしがれた中で、神を思い目指しなさい
 あなたの夢は、尊い、美しい、ダイヤの原石の価値ある存在です
 話しの通じない男達には、こう言ってやりなさい
 あなたの家族は、一人残らずそれで、幸福に暮らしていますでしょうか?
 また、話しの通じない女達には、口を閉じるのです
 邪なお喋りは、あなたの身も心も穢してしまいます
 あなたは口を閉じ、ただこの神だけを愛して、幸せな笑顔を浮かべていなさい
 ある人は、あなたをおかしな人と言い、強情で話しの分からないやつと、呼ぶかもしれない
 けれど、この神だけは、あなたの高潔と揺るぎない信念を知り、愛するものです
 どんな時も正しく、礼儀良く、神に愛される行為に耽り、あとは黙して、目の前の手を動かし続けないさい
 あなたが固く神と結びつく事を決め、示せば、人は必ず、あなたを愛し、報います
 悪が蔓延る世界なら、なおさらあなたは、真っ白い手をした高潔な人でありなさい
    2016.7.4.