2014.4.22ー魂の記憶

 身体も感覚も、痛みも、全て統治して神を表せば、そこに統合は成る
 真我を見定めれば、これまで行なった数々の行いは、一瞬の内に整えられ、統制を取ってそこに表します
 真我とは、その方法を悟る者であり、神を知る者です
 神を知る者は、自身の存在を諭す者であり、全てを認識する者です
 アートマである我々は不完全であり、不完全の全てを知る完璧を持つのが、真我です
 現象は、最後に行きつく先、波形の最も外側にある物質であるのですから、それらを正して、ここに在る選択をするには、真我の体現をする事が、最良の術であるのは当然の表れです
 真我を悟る道のりは、決して平坦ではありませんが、真我の何者かを一度悟れば、人の行は終わりを告げて、統合と神とが先に待ちます
 肉体が道具であることを悟るなら、意識こそが、その始まりである悟りは、容易に現れます
 身体、感覚、精神を統合する力を持てば、神である呼吸を知る事になるでしょう
 呼吸を知り、統治する時にのみ、神の統合は現れます
 統合を知れば、神の定めた細微さと、完全とが見え、はかり知れぬ完全と叡智の前に、私たちは個を失くし、至高神であるブラフマンに戻ります
 私とブラフマンを区別する理由はそこに存在し得ないのです
 こうして、体を持って理知を目指し、理知を理解して個を捨て去れば、人は誰もがブラフマンを悟るのです
 ブッタはこの道を悟り、神へと帰依する人生を捧げて、ブッタこそがブラフマンという神へと移りました
 聖者や賢者が悟る道のりも同じです
 神と呼ばれる生者が去っても、生者が残した神は、人々の心を通して永遠を生き続けます
 信仰とは、こうした神の御業や性質の事です
 争う全ては、人の我でしかありません
 私たちは、自身という神を生きるために生まれますから、何かに当てはめるのではなく、自身を見出し生きなければなりません
                              2014.4.22