2014.4.24ー魂の記憶

 身体でも、環境でも、関係性でも、自身でも、苦しみや痛みをありのままである選択は、自身に対しての愛です
 それは同時に、他者に対しての愛にもつながります
 生命は、それそのものの全てを持ってここに存在します
 物質がなければ、どのような性質もここにあって完全を成し、表し、私を示します
 私たちがこの物質に生を受けて最も思い悩む事は、この差、違いなのです
 私たちが神であった時、どのような私も完全で、不可欠の性質であり、どれを持っても欠かす事は出来なかったのです
 しかし物質には、判断という色眼鏡を通した世界を課され、全てをありのままの自身でいる事は困難です
 物質で言う良い悪いは抜きにして、私たちはありのままの自身を否定され、あるいは排除されて生きてきたのです
 こうして作り上げられた人格が、物質のあなたを表すものとして成長して行きました
 どちらも自身である事は変わりありません
 個の存在の意識であるか、意識が選択し、物質の性質を受けて反映された自身であるか
 しかし、決定的な大きな違いは、神であるかどうかということです
 私たちは絶対的な神を持っていました
 内にも外にも、自身にも
 けれど、生まれたほとんどの人は、神を忘れます
 これは、宗教の有無を指すものではありません
 自身が神である確信を忘れ、内にも外にも神が存在する事を忘れ、全ての創造を神である事を忘れて、我々は生きているのです
 これが、物質の生との大きな違いを表すものです
 神があるなら、現象の正負など気に留める必要はないのです
 神であるなら、自身が自身である価値より引き換えに出来る物質は存在しません
 神とあるなら、人はどの瞬間も不幸にはなれません
 さて、あなたは、どうしてこの生に神を失くしたのでしょう
 それが、人生の答えになります
                              2014.4.24